2023年10月19日、芸能界の大御所の訃報が入ってきました。
それは、「ピアノ売ってちょうだ~い」「キビシーッ!」というキャッチフレーズで有名な財津一郎さんが死去していたというニュースです。
財津一郎さん享年89歳。死亡に至った原因は?死因は?病気?事故? 妻や家族は? 経歴・有名フレーズは?
様々な角度から調査してみました。
財津一郎の経歴
俳優でもありコメディアンである財津一郎
1934年2月22日、熊本県熊本市生まれ。本名は財津永栄。
1964年に吉本新喜劇に入団し、1966年から『てなもんや三度笠』に出演。蛇口一角役で人気を博し、一躍全国区のスターとなった。
その後は俳優としても活躍し、映画『連合艦隊』やテレビドラマ『秀吉』などの話題作にも出演。
また、歌手としても活躍し代表曲には「おんなの宿」「おんなのブルース」「男はつらいよ」などがある。
2023年現在は体調不良のため新規の仕事を断っており、かつて撮影したドラマ・映画・CMが放送されている以外は実質的な引退状態にあった。
コメディアンとしての財津一郎
甲高い声と独特のギャグで多くの人々を笑わせた。
特に『てなもんや三度笠』の蛇口一角役は、財津一郎の代表的なキャラクターとして今もなお多くの人々に愛されている。
俳優としての財津一郎
コミカルな役からシリアスな役まで幅広く演じ分け多くの観客を魅了した。
特に映画『連合艦隊』の海軍兵曹長役は、コミカルな演技ながらも戦争の悲劇を浮き彫りにし高い評価を得た。
【テレビドラマ】
・てなもんや三度笠(1966年 – 1976年)
・新宿警察(1979年 – 1980年)
・3年B組金八先生(1979年 – 1980年、1982年 – 1983年、1986年 – 1987年、1988年 – 1989年、1990年 – 1991年、1992年 – 1993年、1994年 – 1995年、1996年 – 1997年、2001年 – 2002年、2004年 – 2005年、2007年 – 2008年、2009年 – 2010年、2012年 – 2013年)
・秀吉(1996年)
・天花(2004年)
【映画】
・連合艦隊(1981年)
・男はつらいよ(1985年)
・男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日(1988年)
・男はつらいよ 寅次郎の告白(1995年)
・男はつらいよ 寅次郎の縁談(1999年)
歌手としての財津一郎
数々のヒット曲を世に送り出し、特に「おんなの宿」「おんなのブルース」「男はつらいよ」は日本を代表する歌謡曲として今もなお多くの人々に歌い継がれている。
・おんなの宿(1974年)
・おんなのブルース(1975年)
・男はつらいよ(1975年)
・男はつらいよ 浪花の恋の物語(1976年)
・男はつらいよ 寅次郎の青春(1979年)
2023年10月19日 死去が公表
死因・病名
財津一郎さんは2023年10月14日に急逝されました。享年89歳です。
死因は慢性心不全とのことです。
財津さんの知人いわく、「10月14日に亡くなり、18日に通夜、19日に告別式が執り行われました」とのことです。
妻は?家族は?
2019年のインタビューで、肺がんを発症する可能性のある病変である「前がん病変」だったこと、心臓に水がたまる病気だったことを話していました。
その後2019年秋に4歳年上の妻ミドリさんが転倒し骨折、家事や妻をお風呂に入れることまでケアしていたそうです。
老老介護状態でありましたが、2020年2月に妻ミドリさんが他界されました。
財津さんには長男次男がおり、孫もいらっしゃいます。孫である財津優太郎さんは俳優として活躍しており、財津一郎さんも将来が楽しみだと語っていたようです。
財津一郎さんの有名フレーズ
財津一郎さんといえば、昔からずっと放送され続けているCMがあります。それはタケモトピアノのCMです。
「ピアノ売ってちょうだ~い」
財津一郎さんがピアノを抱えて歌いながらピアノを売ってほしいと訴えるというもので、20年以上にわたって放送されています。
「キビシイー!」
このフレーズも財津一郎さんの有名フレーズですね。
まとめ
芸能界の大御所である財津一郎さん。
その財津一郎さんの訃報を速報でお伝えいたしました。
長年芸能界で活躍されていた財津一郎さん、本当にお疲れさまでした。
心よりご冥福をお祈りいたします。
お読みいただきありがとうございました。